高津さんのあれやこれや
坂田藤十郎襲名記念 絵馬奉納
平成18年12月から始まった坂田藤十郎襲名披露興行前に高津宮で成功祈願祭を行った坂田藤十郎氏。その後の約1年にも及ぶ襲名披露公演を無事終えたことを祝い、藤十郎氏となにわ華の会より、坂田藤十郎襲名記念、として絵馬をご奉納いただきました。

『夏祭浪花鑑』の舞台である高津宮にちなみ、歌舞伎絵師の穂束とよ國氏が藤十郎氏をモデルに 『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛を描いたもの。
絵馬には、藤十郎氏直筆のサインが入れられ、境内の絵馬堂にて皆様にご覧いただけます。
藤十郎
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桂文枝師匠の碑
高津宮が落語ファンに知られるきっかけとなった、高津の富亭「くろもん寄席」。その盛り立てに大きく力をいただいた故・桂文枝師匠をしのんで、高津宮境内に記念碑が建立されました。石材は晩年に力を入れた創作落語「熊野詣」にちなみ寄贈いただだいた和歌山県新宮市産の花崗岩。碑文は三代目桂春団治師の筆です。

五代目 桂文枝之碑裏面の文(右の画像にマウスをのせてください)

[五代目 桂文枝之碑]

上方落語四天王の一人として
戦後ほろびゆく危機にあった落語の復興に尽力し
多くの弟子を育て 平成十七年一月十日
高津宮での「高津の富」を最後に
同年三月十二日鬼籍に入る
この碑はその功績を称え後世に伝えるため
師が心血を注ぎ創作し演じた「熊野詣」に因み
世界遺産にも登録された熊野の石材を用い
長年の盟友であった
三代目桂春団治師の筆により建立した

平成十八年三月吉日
社団法人 上方落語協会会長 桂三枝
高津の富くじ
高津神社を舞台とした落語”高津の富”を再現した富くじを高津宮とんど祭にて復活しました。落語と同じように手札と対になった木札をキリで突いて当たりを選びます。
富くじ

富くじ
商品は折りたたみ自転車やレストランの食事券、米1俵などと大判ぶるまい!
くじを買ってくださった皆様は、自分で選んだ番号が出るか出るかとキリの突き手を見る目も真剣でした。落語で語られる高津宮の熱気が感じられます。
高津宮版 三十六歌仙絵
昭和三十六年に高津宮本殿が竣工して以来の修復工事完了記念として、本殿内に奉懸されていた三十六歌仙絵を冊子にいたしました。
歌仙絵とは、室町時代に篇額として描かれたのが最初で、優れた歌人の姿絵に歌をそえて描いたもので、中世における歌道の興隆と、肖像画の盛行について神社に奉納する篇額が、歌仙絵の主体となってきました。
高津宮所蔵の三十六歌仙絵は、戦後この高津宮復興に尽力した故内藤銑太郎宮司が初願し、関西画壇の重鎮、故菅楯彦、菅真人両画伯により昭和四十七年に完成をみました。以来大阪の文化的名所として多くの方々に親しまれてきました。
相合坂と縁切り坂

高津宮は地形的にみて周囲より一段高い丘状の所に位置している。それゆえ参拝にあたっては表参道、北坂、西坂、相合坂と四ケ所いづれかの階段を登らなければならない。(境内地図はこちら)
 このうち西坂は俗に縁切坂と呼ばれていた。その昔、この坂は三曲り半に道が曲がっていて「摂陽奇観」巻六高津の条は「高津西ノ坂世俗去り状坂といふ三下り半に曲がりたる由也」とあり、これが縁切坂の名のゆえんである。しかし、明治中期に今のように改修し更にその後、明治後期になってその南側に現在のように南北両方から登る階段を造り、これを相合坂と名付とある。現在この相合坂は、別名縁結びの坂と呼ばれ、男女それぞれ南側と北側から登り、ちょうど頂点のところで出会うと相性がよいといわれている。
 高津の西坂で悪縁を断ち、相合坂で良縁を結ぶ、お悩みの方はぜひお試しあれ。

梅乃橋

 高津宮の表参道の中程に小さな石の反り橋があることをご存知でしょうか?この橋は“梅乃橋”と言い、この下をその昔は“梅川”が流れていました。この川は別名“梅津川”とも呼ばれていて、川下は道頓堀川につながっていました。
高津宮が位置する上町台地は、古来より名水が湧くところとして知られていて、その湧き水の一つがこの川の水源だったようです。

 この梅乃橋には明和5年(1768)に天満九丁目の長浜屋五兵衛により奉納されたことが橋柱に刻まれています。この橋の近辺には“梅乃井”があり、また表参道を出て坂を上がった谷町筋あたりが“梅ヶ辻”と呼ばれていました。
毎年2月11日の献梅祭では梅園を抜けて公園を回り、“梅乃橋”を渡って本殿へ向かいます。参列者には「梅の菓子」と「梅茶」がふるまわれます。ちなみに、大阪名物粟おこしについている梅鉢の紋は、たいていの人が天満宮の梅と考えていますが、実は高津宮の梅なのです。

 このように高津宮一帯がかつては梅の名所であり、道頓堀川の源流に当たる梅川が流れていた時代に思いをはせてはいかがでしょうか。

高倉さんの初午祭

 高津宮本殿に向かって右手にあざやかな朱色の鳥居の奥に高倉稲荷神社が鎮座している。
 江戸時代、商売繁盛・五穀豊穣など民衆のあらゆる願いに応じて稲荷信仰が全国に広まった。お稲荷さんの祭礼が初午の日もしくは午の日に行われる習慣が現在も残っている。それは稲荷神社の総本山である伏見稲荷の祭神が降臨したとされる二月の初午の日が縁日になっていることに起因する。
 高津の高倉稲荷の初午祭は春、桜が開花する四月の初午の日に行われている。それゆえ別名、桜まつりと呼ばれ氏子崇敬者の春を楽しむ行事の一つとなっている。
 この初午祭では上方落語でおなじみの『高津の富』の流れをひく高倉さんの富くじが行われている。とはいっても大金が当る富くじではなく、日用雑貨が主な景品となっている。大当たりは御神酒、鏡餅、鯛、海老、自転車とささやかな景品ではあるが、何が当るかわからない多少のおもしろ味がある。そして桜の花の下で食べるいなり寿司やぜんざいはなかなか乙(おつ)なものである。
 都心にあってもほのぼのとした高倉さんの初午祭が毎年、桜の季節に行われているのである。